訪問ありがとうございます。
じゅりいです。
皆さんはご存知でしょうか?
忘年会シーズン、飲み会が多くなる年の瀬が迫っているからなのか、意外なほど大きな波紋が広がっている「とっくりの注ぎ方マナー」の話題。
Yahooニュースにも載っていてビックリしたのですが、我が家でもこの件を知った旦那さんと、「くだらなすぎるマナー」だと夕食時の話のタネになりました。
改めて「マナーって何だろう」と考える機会となったので、今回はそのことについて書きたいと思います。
そもそもマナーって何?その場の大多数が気持ちよく過ごすためのものなのでは?
「マナー講師」なんていう職業があるくらいですので、マナーについて素人の私がいろいろと勝手なことを言うのはおこがましいのですが、マナーの存在意義ってその場の大多数が気持ちよく、不愉快でない状態でいられるためのものだと思うのです。
食事のマナーで言えば、食事中にゲップやおならをしない、汚い話をしない、などが基本的なマナーだとしたら、場の雰囲気を壊すようなものでなければ、フレンチを箸で食べようがナイフとフォークで食べようが別に良いと思っています。
公共のマナーで言えば、エレベーターの片側に寄るっていうのも、急いでいる人と急いでいない人がトラブルにならないように自然に出来上がったパブリックマナーだと思います。
本来はエレベーターでは歩いてはいけないとのことですが、使用者側の大多数が気持ちがよく使えるように自然に出来上がったマナーとして、とても分かりやすい例だと思います。
先日、食パンを一斤まるごと食べるというマナーとは無縁の食べ方をしたばかりなんですけどね(笑)
まあ、これも家の中だけのことなので、時にはアリなんじゃないかと思っています(;^ω^)
「とっくりの注ぎ方マナー」は、マナーと言えるものなのか?
最近、注目を集めている「とっくりの注ぎ方マナー」。
果たしてこれは、マナーなのでしょうか?
(1)注ぎ口を上に向けた形が仏教の「宝珠」の形に近く美しく見えるため
(2)注ぎ口は「円(縁)の切れ目」という語呂から縁起が悪いため
(3)戦国武将を暗殺するため注ぎ口に毒を塗ることがあったため
上記の記事より引用
注ぎ口を上に向けた形が仏教の「宝珠」の形に近く美しく見えるため
美しく見えるかどうかは人それぞれではないでしょうか。
注ぎ口を下に向けた時の形のほうが美しく見える人もいるはずです。
そもそも、「宝珠」というものを知らない人も多いのではないかと思います。
そんなこと言ったら、そもそも仏教ってお酒を飲むことを推奨しているのでしょうか?
ちょっと調べただけで、「不飲酒戒」というものが出てくるのですが・・・
注ぎ口は「円(縁)の切れ目」という語呂から縁起が悪いため
もはや、マナーという名の言いがかりではないでしょうか?
注ぎ口から注いで「それはマナー違反だぞ!」と言われ、理由がこれだったら納得できますか?
「この人、私のこと嫌いなのかな?」と私だったら思ってしまうかも・・
戦国武将を暗殺するため注ぎ口に毒を塗ることがあったため
今を何時代だと思っているのでしょうか(笑)
そもそもおかしいのですが、私が戦国武将を暗殺する立場にいる人間だとしたら、注ぎ口全体に毒を塗ります。
徳利以外にも、毒を盛る方法はいくらでもあるはずですし・・あれ、何か論点がおかしくなってきましたね(~_~;)
これももはやこじつけに近いのでは?
これらの理由で「マナー」だと思える現代人がどれくらいいるのでしょうか?
徳川が豊臣を滅ぼすきっかけになった「方広寺鐘銘事件」
旦那さんと「とっくりの注ぎ方マナー」について話をしていた時に、最初に旦那さんが言ったのが「方広寺鐘銘事件」についてでした。
注ぎ口は「円(縁)の切れ目」という語呂から縁起が悪いためという言いがかりが、豊臣秀頼が再建した方広寺の鐘の銘文の一部に「国家安康」、「君臣豊楽」と入っていたのが、「家」と「康」を離していて徳川を呪っているとかなんとかで、豊臣を滅ぼすきっかけとなった、「方広寺鐘銘事件」の言いがかりと同じレベルだということでした。
私は知らなかったのですが、調べてみると確かにと感じる部分も・・・
「方広寺鐘銘事件」については、言いがかりでは無いという見方をしている人もいるようですが、その後の流れからみると、力が強い者が気に食わない者に難癖をつける機会を伺っていて、「無理やりに突っ込みどころを探し出した」という印象を持つ人が多いのではないかと思います。
私はそう感じました(;´∀`)
「とっくりの注ぎ方マナー」、一体誰が得をするの?
このようなマナーがあることによって、場の雰囲気が良くなるとか、皆が気分良く過ごせるというような効果はなさそうです。
では、誰が得をするのかと言うと、その場で立場が強い人だけじゃないでしょうか。
この手のくだらないマナーって、立場の弱い人とか若い人を苛めたい時のきっかけとしてくらいしか、もはや存在意義を見出すことが出来ないのですが・・・
立場の弱い戦国武将:どうぞ、お酌します(注ぎ口が下)。
立場の強い戦国武将:無礼者!マナーがなっていないぞ!戦の準備じゃ!
立場の弱い戦国武将:ひえーー。
みたいな(笑)
現在では許されないパワハラ的に生まれたマナーとしか思えない。
内容のくだらなさだけでなく、パワハラを感じる内容だったからここまで広がったのでは?
セクハラやパワハラが問題視されている現代、「とっくりの注ぎ方マナー」がここまで注目されたのは、私と同じようにパワハラ的な雰囲気を強く感じた人が多かったからではないかと勝手に思っています。
単に面白がって、飲み会の話題にしている人も多いとは思いますけどね。
「これって、マナー違反らしいっすよ」「へえー、そうなんだ、どの辺がマナー違反なんだろうね。」みたいな話を、忘年会や新年会でする人も多いかもしれませんね。
終わりに。現実にそぐわない、言いがかりのようなマナーとはさよならしたい!(希望)
マナーの存在意義は、その場の大多数が気持ちよく、不愉快でない状態でいられるためのものだと私は思っています(マナーに詳しい方、合っていますでしょうか)。
考えてみると、特定の誰かが得をするためだけのマナーとか、明らかに時代にそぐわないマナーや決まり事が沢山あります。
そんなマナーや、決まり事のように言われている事とはさよならしちゃっても良いんじゃないでしょうか?
ただ、社会人やっていると自分がさよならしたくてもそう簡単にできないという葛藤と戦う羽目になるんですけどねぇ・・
最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(__)m
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